「政治政党関係者と考えるミャンマー都市部での選挙戦略」

「政治政党関係者と考えるミャンマー都市部での選挙戦略」

京都大学東南アジア地域研究研究所
中西嘉宏

研究目的

本研究は、現代ミャンマーの都市部における選挙戦略の可能性を、政党関係者および現地研究者とともに検討することで、ステークホルダーと協働した学際的な政治研究の可能性を探るものである。
 2015年総選挙はミャンマーで歴史的なイベントとなった。それはひとつに、1960年以来55年ぶりの自由で公正な選挙だったからである。もうひとつに、同選挙でアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が約8割の議席を獲得し、55年ぶりに文民主導の政権が誕生する起点になったからである。この政権移行には世界的な注目が集まり、新政権の発足は国内外で政治発展の新たな一歩として歓迎された。
 そうした政権移行への注目の一方で、50年ぶりに自由で公正な選挙を経験したミャンマーの有権者の投票行動については、いまだ十分に検討されていない。いまのところ、NLDの地滑り的勝利の理由は、アウンサンスーチーの国民的人気を最大限利用する選挙戦略を同党が立て、成功したからだと考えられている。しかしながら、統計的に検証するデータが十分に収集されておらず、こうした推測の真偽を知ることは難しい。同国が今後選挙を繰り返していくうえで、有権者の投票行動を知ることは学術的にも実務的も重要な課題である。
 そこで、本研究では、ヤンゴンの郊外にある南オッカラパ郡(選挙区)において、過去の投票結果の収集・分析、社会リーダーの政治的影響力、政党の活動内容、政府機関と住民との関係等を調査し、同候補者が現実的に取りうる選挙戦略を検討することを目的とする。

調査内容と結果

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調査フィールドとなる南オッカラパは1950年代末に開発された比較的新しい地区で、人口16万人の郡である。2015年総選挙ではNLD候補が同選挙区(下院選挙では郡がそのまま選挙区となる)で80.87%(67,291票)と圧倒的な得票を得て勝利した。次点は当時の与党連邦団結発展党(USDP)の候補で、得票率はわずか15%ほどで大敗であった。
 この選挙結果の過程を地域の文脈をふまえて理解すべく、まず、有権者名簿を収集後、同郡の13地区の社会経済的特質を検討し、次いで、2010年総選挙と2015年総選挙の候補者、選挙活動参加者へのインタビューを合計5度行った。その結果、2010年総選挙でのUSDP以外の政党が擁立した候補への有権者の警戒感や、軍政下の自由の制限が選挙活動の抑制を引き起こした点がわかった。また、2015年総選挙時におけるNLDの選挙活動が、選挙対策委員会のような組織は党内に設立されたものの、実際には多くの非党員支持者の自発的な参加によって支えられていたことがわかった。他方で、USDPの現職候補者(元ヤンゴン市長の名前の知られた軍人)は自身の個人資産を選挙区のインフラ整備に投じ、比較的整備された党組織の支援を受けたが、カンザーチェッ(印象)が投票行動を支配していたため、組織によって票を獲得することはできなかったと語った。図式的に整理するなら、組織力の強いUSDPが、組織力は弱いが、市民の自発的支援を受けるNLDに敗れた、ということになろう。
 以上を受けて、政党による組織力でもなく、市民の自発的参加にのみ依存するわけでもない、いわば第3の道の可能性について共同研究者たちと議論を重ねた。その結果、2011年以上次第に増えているコミュニティベースの組織(CBO)との連携により住民とより密なコミュニケーションを定期的にとれる回路を構築して、そのネットワークによる集票を目指すという戦略を考案した。その上で、CBOの実態調査をすべく、同郡の第7地区でCBSのうち、スンラウンアティン(施食協会)についてその組織形態を調査した。その結果、同協会が第7地区では多くの通りごとに組織されていることが確認された。活動は、入安居から安居明けまでの布施を集める作業であるが、協会によってはその時期以外も活動していることがわかった。
他方で、以下の3点で政党活動とのリンクが簡単ではないことがわかった。ひとつに、宗教活動として認識されており、政治活動とは距離を置く傾向があること。ふたつに、施食組合の長を務める人物は実業家であったり、引退した公務員であったり、サイカー乗りであったりさまざまだが、いずれにしてもその地区の有力者といった人々ではない。みっつに、豊かな人が多いとされる地区には同様の協会は増えておらず、CBSの増加はタウンシップ内で一様ではない。これらの考察から、現状のCBSを選挙戦略のなかに組み込むのは困難ではないかという結論に至った。

今後の課題

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USDPのようにかつて政府の支援を受けて組織化された政党、NLDのようにカリスマ的リーダーのもとで民主化運動から組織された政党、これらと異なる戦略のもとでより社会的な基盤をもった政党になることが今後のミャンマーの新しい政党に求められているように思われる。しかしながら、市民社会が活発になってまだ10年もたっておらず、次第に増えるCBSとの連携を模索できる段階に政党も市民社会も至っていないようである。そうしたなかで、現代ミャンマーの現状に応じた新しい選挙戦略の模索を今後も続ける必要がある。